2012年 04月 29日
頓兵地蔵 |
創建舎もGWを迎えました。
明日から、5月6日まで、ブログをGWお休みと
させて頂きます。
今日、お打ち合わせに行きましたお客様の趣味は
大田区の郷土史の研究と伺いました。
「亀山さんの会社は下丸子だから、頓兵地蔵の近くだね?」
と言われて、
「頓兵地蔵???」となっていたわけですが、
ありました。頓兵地蔵 ちゃんとありました。
皆様にちゃんと頓兵地蔵をご説明できる自信が無いのですが、
やってみます。
昔々南北朝時代に、足利尊氏の子供の足利基氏と、新田義興と
いう武将同士が、権力闘争をしていました。
足利基氏は新田義興を、亡き者とするために、
元義興の部下である武将ともう一人自分の部下を、
「もう、足利基氏さんには、うんざりです。もう一度あなたの家臣にして下さい。」
「もう、足利基氏さんには、うんざりです。あなたの家臣にしてください」と
嘘をつかせて刺客として送り込みます。
その2人がある時、多摩川矢口の渡し付近に船を浮かべてお月見をしましょうと
義興を誘い出します。
その船には、じ・つ・は 小さな穴を細工してあって
いずれ沈んでいく運命の船としてあったのでした。
義興が異変に気がついた時は、時既におそし。
沈んでいく義興の船に、川岸から一斉に足利基氏勢の矢が降ってきて
義興と、その家臣たちは、自害をして、果てるのです。
さて、その後、義興を亡きものとするために送りこまれた家臣の一人
が多摩川矢口の渡し付近で落雷に合い、その際は、命は取り留めるのですが、
7日間寝床にあっても水中で溺れているかのごとき動きを
して苦しみながら、一週間後に狂死します。
そこから、義興のたたり伝説が大ブレイク!!
義興の魂を供養しましょうと、新田神社(大田区矢口にあります。)が建立されます。
頓兵さんは、出て来ませんね。 すみません、これからです。
この、新田義興、謀殺事件を題材に 江戸時代 平賀源内が
かいた浄瑠璃(その後歌舞伎にもなったそうです。)
が 神霊矢口渡これが、江戸で大ヒット!!!
これは、義興謀殺の後日談という構成で、
ある時、頓兵の家に一晩泊めて下さいと夫婦1組がやって来た。
頓兵は矢口の渡しで船頭を商売としていて、実は新田義興が
沈むように細工された船をこいでいたのは、頓兵だった。
頓兵には、娘がいて、この娘さんが、突然泊めて下さいと頼んできた
旦那さんに一目ぼれ。妻がいて、叶わぬ恋なのに、一目ぼれ。
その後、いったいどういう経緯で、わかったのかはわからないのですが
頓兵はこの旦那さんが自分が謀殺に加担したあの新田義興の
実の弟で、義興と敵対していた、足利基氏勢に、追われていることに気がつく。
殺して、手柄をたてようと思ったのか、自分が義興謀殺に加担したことが、ばれれば、殺されると思った
のか、頓兵、義興弟に切りかかる、その時!
旦那さん(義興弟)に一目ぼれした娘さんが
かばって、代わりに頓兵に切られてしまう!!
(けなげっ 一目ぼれで命をかけて守るって、
あり得ないけど。。。浄瑠璃だから。。。)
娘の父 頓兵も、 さすがに反省し、娘の供養の為に
お地蔵さんを作りましたとさ。
そのお地蔵さんが地域の方に、脈々と守られてきて
下丸子駅近く、環八も直ぐ近くな場所に
あるのです。環八は直ぐな場所ですが
このお地蔵さんの前の道は、そんなに交通量もなく
のどかな道路なんです。
説明できたかな・・・・ (亀山)
☆創建舎今後のイベント☆
■5/19(土) 家づくり講座(2)「いい住まいの設計手法」
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「亀山さんの会社は下丸子だから、頓兵地蔵の近くだね?」
と言われて、
「頓兵地蔵???」となっていたわけですが、
ありました。頓兵地蔵 ちゃんとありました。
皆様にちゃんと頓兵地蔵をご説明できる自信が無いのですが、
やってみます。
昔々南北朝時代に、足利尊氏の子供の足利基氏と、新田義興と
いう武将同士が、権力闘争をしていました。
足利基氏は新田義興を、亡き者とするために、
元義興の部下である武将ともう一人自分の部下を、
「もう、足利基氏さんには、うんざりです。もう一度あなたの家臣にして下さい。」
「もう、足利基氏さんには、うんざりです。あなたの家臣にしてください」と
嘘をつかせて刺客として送り込みます。
その2人がある時、多摩川矢口の渡し付近に船を浮かべてお月見をしましょうと
義興を誘い出します。
その船には、じ・つ・は 小さな穴を細工してあって
いずれ沈んでいく運命の船としてあったのでした。
義興が異変に気がついた時は、時既におそし。
沈んでいく義興の船に、川岸から一斉に足利基氏勢の矢が降ってきて
義興と、その家臣たちは、自害をして、果てるのです。
さて、その後、義興を亡きものとするために送りこまれた家臣の一人
が多摩川矢口の渡し付近で落雷に合い、その際は、命は取り留めるのですが、
7日間寝床にあっても水中で溺れているかのごとき動きを
して苦しみながら、一週間後に狂死します。
そこから、義興のたたり伝説が大ブレイク!!
義興の魂を供養しましょうと、新田神社(大田区矢口にあります。)が建立されます。
頓兵さんは、出て来ませんね。 すみません、これからです。
この、新田義興、謀殺事件を題材に 江戸時代 平賀源内が
かいた浄瑠璃(その後歌舞伎にもなったそうです。)
が 神霊矢口渡これが、江戸で大ヒット!!!
これは、義興謀殺の後日談という構成で、
ある時、頓兵の家に一晩泊めて下さいと夫婦1組がやって来た。
頓兵は矢口の渡しで船頭を商売としていて、実は新田義興が
沈むように細工された船をこいでいたのは、頓兵だった。
頓兵には、娘がいて、この娘さんが、突然泊めて下さいと頼んできた
旦那さんに一目ぼれ。妻がいて、叶わぬ恋なのに、一目ぼれ。
その後、いったいどういう経緯で、わかったのかはわからないのですが
頓兵はこの旦那さんが自分が謀殺に加担したあの新田義興の
実の弟で、義興と敵対していた、足利基氏勢に、追われていることに気がつく。
殺して、手柄をたてようと思ったのか、自分が義興謀殺に加担したことが、ばれれば、殺されると思った
のか、頓兵、義興弟に切りかかる、その時!
旦那さん(義興弟)に一目ぼれした娘さんが
かばって、代わりに頓兵に切られてしまう!!
(けなげっ 一目ぼれで命をかけて守るって、
あり得ないけど。。。浄瑠璃だから。。。)
娘の父 頓兵も、 さすがに反省し、娘の供養の為に
お地蔵さんを作りましたとさ。
そのお地蔵さんが地域の方に、脈々と守られてきて
下丸子駅近く、環八も直ぐ近くな場所に
あるのです。環八は直ぐな場所ですが
このお地蔵さんの前の道は、そんなに交通量もなく
のどかな道路なんです。
説明できたかな・・・・ (亀山)
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by soukensya-blog
| 2012-04-29 19:33